国内のBtoC-EC市場は2024年に26兆円を超え、なお成長を続けています。それでも、個々の事業者に目を向けると、売上は右肩上がりなのに、なぜか手元に残る利益は増えません。現場は常に忙しく、誰かが休むと業務がすぐに止まってしまいます。それでも「まだ人が足りないだけだ」「もう少し広告費をかければ数字は伸びる」と考えているなら、その判断はおそらく間違っています。
これは人手不足の問題ではなく、構造の設計不足の問題ではないでしょうか。
「拡大すれば解決する」という思い込み
EC事業が伸び悩むと、多くの経営者はまず「もっと売る」ことを考えます。広告費を増やす、セール頻度を上げる、新規チャネルを開く。上層部から「売上を倍にしろ」という号令が下り、とにかく手っ取り早い施策として、広告を増やしたり、モールへの出店を一気に増やしたり、商品点数を手当たり次第に積み増したりする——こうした光景も、決して珍しくありません。いずれも手っ取り早く売上を上げようという発想になり、いわば穴の空いたバケツに、上からより多くの水を注ぎ続けるような対応です。
実際に事業の構造を診断すると、業績が伸びるほど疲弊するEC事業には、ほぼ共通して同じ構造的な欠陥が見つかります。
- 商品ページ: 購入判断に必要な情報が不足している。
- 一覧ページ: 比較検討がしづらい。
- 決済フロー:完了までのステップが不必要に多く、総額が最後まで見えない。
- 管理体制: これらの機能不全が体系的に把握されておらず、担当者の感覚と経験頼みで改修が繰り返されている。

つまり、売上を積み上げるための「入口」は広げているのに、バケツに空いた穴はふさがれていない状態です。広告費を増やせば、バケツに注ぐ水の量は増えます。しかし穴が空いたままなら、注ぎ込んだ水はそのまま漏れていきます。これが「売上が伸びるほど利益が消えるEC」の正体です。
広告費という対症療法
サイト構造の欠陥を放置することによる典型的な悪循環があります。決済までのステップが多いサイトほど、カゴ落ちが常態化します。デンマークにあるECサイトのUXを専門とする調査機関Baymard Instituteの調査では、ECサイトのカゴ落ち率は世界平均で7割を超えるとされ、国内の調査でも6割台という結果が報告されています。その理由として最も多く挙げられているのは、「送料や手数料を含めた総額が、購入手続きの最後までわからなかった」というものです。カゴ落ちが増えれば、一人の新規顧客を獲得するための実質コストは上がっていきます。獲得コストが上がった分を、さらなる広告費の増額で埋めようとします。
オンライン購入を途中で断念した理由 (出典:Baymard Institute)

こうした対応は対症療法に過ぎません。傷口を塞がずに、輸血の量だけを増やしているようなものです。決済ステップの多さという構造課題を放置したまま広告費を増やし続ければ、売上の見た目は保たれても利益率は着実に削られていきます。にもかかわらず、この提案を続けるコンサルや代理店は少なくありません。構造を診断するより「もう少し広告を出しましょう」と言う方が、圧倒的に簡単で、当たり障りがないからです。
さらに問題なのは、この対症療法が短期的には効いて見えることです。広告費を増やせば、確かに訪問者数と売上は上向きます。経営会議では「打ち手が効いている」と評価され、翌期も同じ処方が繰り返されます。しかしバケツの穴は放置されたままなので、獲得コストは毎期じわじわと上がり続け、数年単位で見れば利益率は確実に縮んでいきます。この遅効性こそが、対症療法が発見されにくい理由でもあります。
同じ光景が、業種を超えて繰り返されている
この構造は、特定の業種や規模に限った話ではありません。実店舗を持つ企業のEC事業でも、D2Cブランドでも、同じパターンが繰り返されます。「広告費を増やしても新規は増えるが、利益率が改善しない」という相談で始まり、実際にヒアリングをすると、話の中心は広告ではなく業務の流れそのものに移っていきます。
商品企画から仕入、在庫管理、受注処理、出荷、CSまでの流れを書き出し、どこにボトルネックがあるかを可視化します。すると、経営会議で議論されていた「広告費をどうするか」という論点は、「なぜここまで購入判断に必要な情報が欠落しているのか」という論点に置き換わります。この転換が起きた瞬間から、議論はようやく利益構造そのものに向き始めます。
現場が壊れるのは「機能」ではなく「つなぎ目」
もう一つ見落とされがちな構造があります。EC事業は、以下の機能がシステムを介して連結しています。問題は個々の機能自体ではなく、その「つなぎ目」で発生しています。
- 商品企画
- 仕入・在庫管理
- 受注処理
- 出荷
- CS(顧客対応)
機能間の情報の受け渡しが設計されていないため、現場では「システムで吸収できない誤差」を手作業で埋めるという属人的な負荷が発生しています。
このとき現場の担当者は、システムでは吸収できない誤差を、手作業で何とかしのぎます。それが日々積み重なると、属人化が進み「人に依存した組織」が生まれます。これは個人の能力の問題ではなく、EC事業全体の「つなぎ目」を設計しなかった結果です。人を増やしても、つなぎ目の欠落そのものは埋まりません。増えた人員もまた、同じつなぎ目を手作業で埋める役割を担うだけであり、組織はむしろ複雑になります。
しかも「人を増やす」という選択肢自体が、今後ますます難しくなっていきます。パーソル総合研究所の推計では、2030年には日本全体で644万人の労働力が不足するとされています。支える人手そのものが先細っていく中で、つなぎ目を人海戦術で埋め続けるという発想は、遠からず前提から崩れていきます。
感覚頼みの改修が悪循環を固定化する
こうした構造課題への対応が後手に回る最大の理由は、多くの企業が改修の判断を「感覚」で行っているからです。担当者が「なんとなく使いにくい気がする」商品ページを直す。クレームが目立った箇所だけをその都度直す。結果として、改修には優先順位という考え方が存在せず、影響度の低い箇所に時間を使い、致命的な欠陥は何年も放置されるという逆転が起きます。
EC事業の構造を診断するとは、この優先順位を感覚から取り戻す作業です。どの欠落が離脱に直結し、どの欠落が後回しにできるかをスコアとして可視化します。それができれば、限られた予算と人員を、最も利益に効く順番から投下できます。
また、多くの企業が最初に手をつけたがるのは、デザインの刷新です。「デザインが古いから売れない」という思い込みは根強くあります。しかし診断結果を見ると、購入を阻んでいるのは見た目ではなく、商品情報の欠落や決済ステップの多さ、であることがほとんどです。優先順位を無視してデザインから着手すれば、時間とコストをかけたのに利益率は変わらないという結果に終わります。デザインは、構造が整った後に着手すべき最後の工程であり、最初の一手ではありません。

必要なのは「拡大」ではなく「再設計」
売上を追加で積み上げる前に、まず購入までの障壁と、業務の接続構造を整える。これが利益構造を立て直す唯一の正しい順番です。デザインを刷新する、広告費を増やす、人をさらに採用する——これらはすべて、構造の欠陥を放置したまま行う"力づくの拡大"であり、遅かれ早かれ現場を壊し、利益を静かに削っていきます。
事業を伸ばすこと自体は、もちろん間違っていません。問題は、伸ばす前に整えておくべき構造を、誰も診断していないという点にあります。感覚で改修を繰り返す限り、この悪循環は止まりません。順番を変えるだけで、同じ広告予算、同じ人員のままでも、残る利益は変わります。
穴の空いたバケツに水を注ぎ続ける前に、まず穴を塞ぐ。当たり前に聞こえるかもしれませんが、この順番を実行できている企業は驚くほど少ないのです。それは経営が悪いからではなく、穴の位置——つまり構造上のどこに欠落があるかを、誰も可視化していないからです。可視化さえできれば、次に打つべき手は自然と決まります。
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参考
50 Cart Abandonment Rate Statistics 2026 – Baymard
How to Reduce Cart Abandonment – Baymard
<調査報告>ECサイトのカゴ落ち率は平均約62.9%、機会損失額は売上の約2.6倍 – 株式会社イー・エージェンシー(PR TIMES)
ECの平均カゴ落ち率は約62.9%。機会損失額は売上の約2.6倍 – ネットショップ担当者フォーラム
鈴木 理恵 / 執行役員 EC事業部長
- 経歴
法政大学経営学部卒業。マンパワー・ジャパン株式会社(現:マンパワーグループ株式会社)に入社。その後、専門商社に転職し、コスメ事業部で国内・海外営業、ECサイトの運営を経験。2016年イノーバへ入社し、カスタマーサクセスやPdMとしてプロダクト開発を経験。Webサイト事業の責任者を経て、現在はEC事業のマネジメントに従事。